社会生活・学生生活で日常を送っていると、ふと考えることがあります。
「自分は何者なんだろう?」
「自分は○○です」と人に言えることをしてきただろうか?
これからの人生で自分はコレですと、はっきり言える日が来るのだろうか?
その為にしなければならないことは、あるのだろうか?
全から「個」の時代へ、個人が発信することが容易になった分、
その概念は、普通に生活していても痛感させられます。
YouTuberが最たる例でしょう、「自分はこれでやってます」と。
個人で稼ぎ出す時代も定着してきましたが、そこでふと頭をよぎるのが
私は「なにもの?」
何かを発信できるスキルもないし、
別に目立とうは思わないが、自身を持ってコレですと言える事柄が私にはあるの?
そんなことを考えている人も多いかと思います。
現在、私自身は会社勤めで現場監督をしています。
ではこの質問、「あなたは何者ですか?」と問われた際、どう答えるのか?
「会社員です」
「建築現場で工事監督をしています」
「休日は本を読んだり、筋トレしたりしています」
これが現時点で言える私の回答です。
つまりは「なにもの」ではありません。私です。
結論から言いますと、
「なにものか」になる必要はありません。
「なにものか」になる絶対的な条件は「他者」です。
他者の視点があって初めて何者かに見えると言ったほうがいいでしょうか。
他者はもちろん自分以外の存在ですので、コントロールできません。
いくら音楽がプロ級でも、誰も見たことがない昆虫を発見しても、空が飛べる能力があったとしても、
「他者」からの評価がなければ、それは存在してないと一緒です。
ですので、「なにものかになる」のは、自分の評価軸に置いて自分が満足できていれば、
今はそれで十分です。
ギターを練習してコードを覚えた、英会話が少し上達した、昨日より一回腕立て伏せが多くできた。
自分で努力して成果が得られたのならば、立派な「なにもの」に近づいています。
ただし、何者かになるための道を閉ざしててはなりません。
様々な可能性を試して初めて、自分にあった道ができてきます。
それが「なにもの」です。
医者であれ、芸術家であれ様々な体験からやっとたどり着いた「なにもの」。
日々の挑戦と、可能性のトライ&エラーそして時には、諦めることも「なにもの」になる為の方法です。
いきなり150kmの速球は投げれませんし、10 秒台で走れる訳でもありません。
他人の評価はひとまず置いておいて、
可能性を挑戦し、少しでも理想の姿に近づく。それこそが大切です。
参考図書